三島村 観光 みしまにあん

黒島

三島村 黒島

黒島

kuroshima

村で最大のこの島には大里、片泊という二つの集落があります。
他の二島に比べ島全体に森林が多く、動植物も豊富で、様々な渡り鳥や昆虫など、多彩な自然の姿が見られる島です。

フェリー所要時間 約6時間
商店 2軒
宿泊施設 5軒
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大里 中心部

大里小中学校

大里小中学校は、有吉佐和子の小説「私は忘れない」の舞台となった学校です。
当時のパネル写真と有吉佐和子文学顕彰碑が大里ふるさとセンターで見られます。

  • 黒島 大里小中学校
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浜戸神社

海の神様を祀っている神社。毎年一月二日と旧暦五月五日に航海安全、豊漁を祈願して祭りを行っています。

  • 黒島 浜戸神社
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黒尾大名神社

昔から九郎大明神とも黒尾大明神ともいわれています。祭神ははっきりしませんが、海上の安全を守る住吉の神のほか、当地に来た平家落人を祭っているとも伝えられています。
神体は大小十三個の自然石です。最も古い棟札に文禄4年(1595)の記述があるので、四百年以上も前から祭られていたと思われます。
天正(1573~1592年)の頃、日向方面の海賊が押し寄せ、島津藩の警護船の名をかたって上陸し、社殿に格納していた財宝や平家系図を盗みとって十島方面にくだったと記録に残っています。
その後残っていた九九種の社宝(鏡、鏃(やじり)、陶器等)は文政11(1828)年に藩史小幡平八郎のために藩に没収されました。さいわい拝殿に鰐口が現存しており、貴重な文化財です。
島の人々は、木は勿論、落葉を取ることも許されなかったといわれています。
祭祀は、2月9日、9月10日、11月10日の年3回行われ、地区民もこぞってお参りをしています。お盆には弓矢踊り、長刀踊り等が奉納され、地区民や帰省客総出の観覧でにぎやかになります。

  • 黒島 黒尾大名神社
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平等大慧会妙塔

大里港背後の丘の上に建つ、琉球造りを思わせる朱と白の建物です。久遠の昔から、島民たちが生きるためにいろいろな動植物の命を絶って食してきた罪を供養するために建てられたものです。

  • 黒島 平等大慧会妙塔
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有吉佐和子 文学顕彰碑

昭和33年に黒島を訪れた作家、有吉佐和子は、辺地の教育、島の風俗、自然に立ち向かって生きる島の人々の姿に感動し、昭和34年、新聞小説(朝日新聞)として発表、のち新潮社から文庫本としても発行されました。
「鹿児島から十二時間、黒潮の真只中に忘れられた島、黒島がある。この辺地で人間愛と、心の豊かさを植えこもうと教育に生涯をかけている先生たちの姿を島の素朴な風俗をバックに、文明の中で怠惰な生活に流れようとしている都会の人たちに訴えてみたい。」という作者の制作意図でした。
昭和35年、同名の映画が制作上映されて、一躍この島の名を広め、島興しの機運が高まりました。三島村はその功績を称え、永久に銘記するために、平成四年三月に文学碑を建立しました。

  • 黒島 有吉佐和子 文学記念碑
  • 黒島 有吉佐和子 文学記念碑
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大里ふるさとセンター

診療所、保育園、浴場、ホール等を併設した大里集落の公共施設。

  • 黒島 大里ふるさとセンター
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大里の墓石群

江戸期(応文、宝暦、寛政、寛文、享保、天正、天保、元禄等)の墓石が立ち並んでいます。葬制、埋葬形態がよく残されています。
棺の埋葬にあたって「カブリ石」を埋められた棺の上に置き、墓石を立てるまでそのままにしておきます。墓石を立ててもらえないものはいつまでも「カブリ石」のままです。葬制も太夫家、庄屋家と一般の家とは異なります。

平家一門が落ちてきてから150年ほどたった頃、硫黄島の安徳帝の子孫長浜吉保の子吉為が安徳帝5世の孫として大里に入り、日髙権之丞吉為と称し黒島を支配しました。この人の墓を御墓(おおはか)という。大里墓地の最上部に高くそびえる五輪塔です。この子孫は江戸時代になって黒島の庄屋や大夫の役職をおびた日髙一族です。この墓も伝説では安徳天皇の墓といい、古来金銀が埋めてあると伝えていたので天正の海賊は墓を掘り財宝をうばったといわれています。明治末年ごろ大島支庁から役人が来てこの墓の下を掘りましたが、長い骨が1本出たのみで何もありませんでした。(松永守道氏編より)

  • 黒島 大里ふるさとセンター
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大里港

フェリーの発着する港。

  • 黒島 大里港
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赤鼻

黒島で唯一、朝日と夕日が見れる場所。

  • 黒島 赤鼻
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黒島平和公園

太平洋戦争中に知覧や鹿屋を飛び立った特攻兵の乗ったゼロ戦が、整備不良などの原因で目的地に着く前に墜落や不時着をしており、ここ黒島でも多くの兵隊さんが助けられました。幸い回復する人もいれば、大火傷を負い薬不足で生死の境をさまよう人もいたそうです。
その中の兵隊さん一人が、鹿児島本土にどうしても連れ帰ってくれと島住民に強く懇願し、一人の若者が死を覚悟して伝馬船で兵隊さんを乗せて鹿児島本土に向けて魯を漕ぎ出したそうです。風向きにも助けられ、なんとか本土に到着することができました。その後、その兵隊さんは再度特攻兵として飛び立ったのですが、黒島上空にて低空飛行をし、薬やキャラメルなどの食料を届け、大火傷の兵隊を助け、沖縄へと飛び帰らぬ人となったそうです。その物語は当時新聞などでも報じられ、伝馬にて漕ぎ出した若者も英雄として報じられたそうですが、実際本人は「自分が送らなければ、あの人は命を落とすことはなかったかもしれない・・・」と大変後悔されたそうです。
大火傷を負った兵隊さんは回復し、戦後長らくご存命でしたが、記念碑を建立したいという悲願を達成することなく逝去されました。しかし、その意思を引き継いだ遺族や関係者の方々の手により、特攻平和公園が整備され、記念碑が建立されました。戦争で散った友への思いと平和への祈りがこめられ、毎年慰霊祭が開かれています。

  • 黒島 黒島平和公園
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冠大神

冠岳(今は崩落してない)の頂上付近にあった神社で、古来、天狗神を祭ってあると伝えられています。小さな木造の社が3つあり、左を太郎坊、右を次郎坊といいます。神体は百余りの自然石です。昔から島民に畏敬されており、参拝のとき身を洗い清め裸足になっていくところでした。戦時中は出征兵士の武運長久を祈願し、戦後は、島を離れる若い人たちの健康と幸運を祈願し、白旗1本を奉納しています。
※平成八年一月と四月の二回にわたり冠岳頂上が崩落しましたが、この神社だけは難を逃れたので、近くの安全な場所に移設されました。

  • 黒島 冠大神
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片泊 中心部

片泊小中学校

片泊にある小中学校。平成25年度には小中学校の児童・生徒あわせて5名にまで減少しましたが、しおかぜ留学生や定住者の増加などにより、平成26年度には15名まで増加しました。

  • 黒島 片泊小中学校
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菅尾神社

「三国名勝図会」に祭神不明、神体鏡二面、自然石16体とあります。寛永6(1629)年以来の棟札に、黒島大明神とも、黒島菅尾大明神とも書いてあります。祭祀は、2月10日、9月11日、11月11日で年3回行われています。

  • 黒島 菅尾神社
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片泊ふれあいセンター

片泊集落の公共施設。青年会や敬老者の集会施設や、球技やイベントが行えるホールがあり、行事があるときは多くの地区民でにぎわいます。

  • 黒島 片泊ふれあいセンター
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片泊港

フェリーの発着する港。

  • 黒島 片泊港
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平家城跡

壇の浦に敗れた平家の一団は、九州の陸、島づたいに追われ、沖合いはるかに見える黒島を最後の安住の地にしようと思い、この黒島にたどり着いたとされています。
源軍の追っ手を恐れた一団は、休む間もなく城をつくり、周りに木の枝を切って逆茂木とし、防禦(ぼうぎょ)の備えをしました。
一団は、平家の城に二年ほど住んでいましたが、やがて、一部の者は山を越え中里方面へ、一部の者は海を泳ぎ片泊に着き、永住の地としました。

  • 黒島 平家城跡
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きよはる公園

片泊に住んでいた、きよはるさんが作った公園。片泊の港と夕日がきれいに見えます。

  • 黒島 きよはる公園
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イバドンの墓

文治4(1118)年、源氏の武将宇都宮信房が平氏打倒に連れてきた勇士一族の大庭三郎家政は、平家の美しい娘に恋をし、打倒軍引き上げの後も島に残り、娘と夫婦になり、日暮村で暮らしました。村人は、「大庭ドン」と呼んでいましたが、いつしか訛ってイバドンになりました。大庭三郎の死後、そこに墓が建てられました。日暮村一の美女を見初めた人と言うことで、この墓を掃除するときは、若年の少女ほど墓に近づけたといいます。毎年旧暦6月23日には、片泊の婦人たちだけで墓の清掃を行い、清掃後、地区長さんの奥さんが米と塩を供え、五穀豊穣、地区民の健康安全を祈願しこの墓を中心にして婦人たちが円をつくり、盆踊りを奉納します。これをすませないと盆の踊りはできないという言い伝えがあります。

  • 黒島 イドバンの墓
  • 黒島 イドバンの墓
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白衣観音

明治28年7月、台風で塩手鼻に避難していた枕崎のカツオ船の漁師たちが、突風にあおられ岸壁に激突しました。「黒島流れ」と呼ばれるこの事故によって、411名もの尊い命が失われました。生き残った漁師の方々は、島の方々が手厚く介護し、大切な食料であるお米を集め、食べさせるなどされたそうです。この遭難を機に、黒島と枕崎との交流が深まり、枕崎市は昭和56年から「少年の船」を毎年黒島に派遣して犠牲者の慰霊につとめており、黒島流れの歴史を長く伝え、黒島と枕崎の絆を一層深めるために、平成元年12月、慰霊と海上安全を祈願する白衣観音像が建立されました。

  • 黒島 白衣観音
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塩手鼻

主に安山岩を主体とする奇岩の断崖絶壁が間近で見られる場所。柱状節理や塩類風化による特異な景観が見られます。
釣りのスポットでもあり、昔はカゴ等を背負って絶壁を登り降りしていました。

  • 黒島 塩手鼻
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